戦国武将に学ぶ事業承継-東京商工会議所(2)

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信長の後

黒田家の存続

どんなに強い武将も永遠に生きることはできません。後継者を育て引き継いでいく必要があります。信長が亡き後、豊臣秀吉が天下をとりました。秀吉は子供に恵まれず、生前にもっともふさわしい後継者として黒田官兵衛の名前をあげていたとされています。

黒田家は、徳川幕府が始まり明治維新までの270年間、13代にわたり存続した家であり、多くの戦国大名が没落したことを考えると、長く続いた家といえます。黒田官兵衛はもともと若い時に当主となり若いうちに多くの経験をすることができました。それに習って、年をとる前に隠居し、息子の長政に家を引き継がせ若いうちから経験をさせました。また、家臣が早く長政に従うように、自分は悪態をついて当たり散らして、長政に目を向けさせました。それが黒田家を存続させた大きな要因とされています。

創業は易く、守成は難し、武田家と上杉家の違い

創業はゼロからのスタート、しかし、守成はマイナスからのスタートもありえます。

武田信玄は、甲斐を本国に、信濃、駿河、遠江、三河と領土を広げた強い武将でしたが、後継者である勝頼への引き継ぎには失敗しました。
信玄は勝頼がまだ頼りなく後を継ぐにふさわしくないと考えていて、家臣たちにも、勝頼のことを馬鹿にした発言をしていました。勝頼のプライドは傷つけられ、家臣も勝頼を支える気持ちにはなれませんでした。
そして、いざ家督を継いだ勝頼は、信玄のやったことを否定し独自路線に走りました。天下の形勢が変わっているにもかかわらず拡大路線に走り、古参の幹部の話を受け入れず、良き補佐役もいませんでした。
これらが武田家が滅んだ背景ともいえます。

上杉謙信は、越後国を本国に、越中、能登、加賀と勢力を拡大しましたが、実子には恵まれず、姉の子である景勝に家督を譲りました。織田信長、徳川家康により、領土は削られましたが、米沢藩にて良く藩政に尽くしました。
景勝は、謙信を肯定して引き継ぎました。情勢の変化に素早く対応し、関ヶ原で負けて以来、身の丈にあった経営に切り替えました。古参幹部の話を良く聞き、良き補佐役に恵まれました。
これらが上杉家が栄えた要因といえます。

環境の変化に備える

環境が激変すると優等生からつぶれていくと言われています。優等生というのは今ある環境で最も適しているからこそ優等生であるのであり、環境が変わるとついていけなくなるからです。うだつのあがらなかった人が環境が変化したら、うまく順応して成果を出すということも十分にありえます。先代社長と後継社長では状況が違うことを念頭において戦略を立てる必要があります。

事業承継、これだけ覚えておくこと

譲る側への教訓

1. 寿命があることを自覚する
2. 万一に備えて後継者を指名しておく
3. 後継者同士を競わせない
4. 企業の生き残りは経営者の長生き競争
5. 酒に注意する
6. 無理をしない
7. 65歳までには引退する
8. 後継者に補佐役をつける
9. 後継社長をオーナーにする
10. 相応しい後継者がいなければ会社を売る

受ける側への教訓

1. 先代を肯定して継ぐ
2. 先代と自分を比較しない
3. 情勢の変化に対応する
4. 身の丈にあった経営
5. 会社の歴史を語り継ぐ
6. 補佐役を持つ
7. 古参幹部の話を聞く
8. 財政が厳しくなっても社員を切らない
9. 一致団結して難局を乗り切る
10. 自分自身もきちんと後継者を指名しておく

3つの事業承継

ハードの承継: 財産、株式、不動産 ⇒ 決算上見えるもの
ソフトの承継: 知的財産、儲かる仕組み、運営方法 ⇒ 人的資産、関係資産、構造資産
人の承継: 誰に引き継ぐか ⇒ 親族、従業員、他社

事業承継のまとめ

本セミナーを事業承継に関してまとめると、以下のポイントになります。

・早めに後継者を指名して引き継ぎ、後継者に若いうちから経験させて育てること
・引き継いだ後継者は、先代の意思や方法を大切にし、一方で時勢にあった経営を心掛けること
・会社の理念が受け継がれるならば、後継者は必ずしも親族に限る必要はない。信頼できる従業員に引き継いでもらったり、あるいは、自分の意思を引き継いでくれる知人・友人・パートナーに会社を売ることも考えられる。

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